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うつくしきフィリピンの島々から。  
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[仏教徒であるということ]
2008年5月
 


フィリピンの文化・国民性に深く根ざすキリスト教の存在を日々意識しながら過しているうちに、ふと、仏教と日本人の思想や価値観の関係をもう一度見つめ直したいと考えるようになりました。

仏教思想の根底にあるのは「四諦」だと言います。苦諦=人生は苦であると悟ること。集諦=苦の原因は渇愛・欲であると悟ること。滅諦=欲を滅ぼす術を悟ること。道諦=そのためには道徳的戒律を守り(戒)、精神を集中し(定)、知恵を磨く(慧)必要があると悟ること。自らの中にある不完全性を認め、それを乗り越える努力を一生かけてしていくという思想は、絶対的な善を説く他宗教とは一線を画していて、共鳴せざるを得ません。

日本の仏教が大乗仏教であることの意味も大きいと思います。タイやスリランカの小乗仏教が内なる悟りを静かに追究するのに対し、大乗仏教は利他行つまり人を救うことを強調するものだとされています。この精神が現代の日本人の中にどれだけ息づいているかは心許ない部分もありますが、私個人の中には強烈な利他行への渇望があることは否めません。もちろん、社会奉仕の精神はから学んだところも多かったのですが。

最後に、父の実家が日蓮宗であることも最近興味深く思っています。日蓮宗では念仏(「南無阿弥陀仏」)の代わりにお題目(「南無妙法蓮華経」)を唱えます。これには様々な解釈があるようですが、極楽浄土に望みを託し現世の無常観を語る他宗派とは違い、日蓮宗は法華経を通じて現世を力強く生きる法を説くものと言われています。明日死んでも悔いのない人生を、は私のモットーですが、これまた面白い偶然の一致ですね。

私にとって仏教とは、宗教というよりも道徳観念の根底をなすものであり、人生を生きるための哲学を体系だてて整理してくれる「遺伝子に組み込まれた精神(梅原猛『仏教』)」なのかも知れません。